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2024/05/14 21:35 |
風を紡ぐ
令、由乃SS  



冬休み、家族で箱根に出かけた由乃と令ちゃん。

手を繋いで、走り出す二人。




  ―風を紡ぐ―







「はい、由乃」



差し出されたホットココアの缶を受け取る。

手袋越しに伝わってくる温度がちょうどいい。

缶を大事そうに手で包み込んで、由乃は目を細めた。

瞼の裏に浮かぶのは、道を駆け抜けていく人たち。

由乃から見れば、それはまるで風のような速さだった。



「ほら、早く帰ろう。

 風邪ひいちゃうでしょう」



令ちゃんのお節介に、頬を膨らませる。

もう少し感動の余韻に浸っていたいのに。

なんで、邪魔をするかなぁ。

大好きなコスモス文庫を読み終わったときは、令ちゃんだって一人でうっとりしているくせに。

けれど、令ちゃんは由乃の心の声には気づかない。

由乃の心配をしているけど、たぶん令ちゃん自身も寒いからなんだろうって思う。



「由乃」



急かされて、仕方なく歩き始める。

由乃とて、いつまでもここにいたいわけじゃないのだ。

大会が終了し、観衆たちが散っていく。

祭りの後の寂しさを残して。



「面白かった?」

「うん。やっぱり、いいよね。

 私もあんなに速く走れたらいいのに」



そう口にしてから、しまったと思った。

令ちゃんの顔を見ると、案の定、切なげな表情がそこにある。



「別に、今からだって遅くはないでしょ。

 練習したら、あそこまでにはならなくたって、速く走れるはずだもの」



なんで、こんなフォローしなきゃいけないんだろう。

もしかして令ちゃん、由乃が手術して丈夫になったってこと、忘れているんじゃなかろうか。

術後の経過も良好だし、発作が起きるような事もなくなった。

体育だって、激しい運動はまだ止められているけど、少しくらいは参加できるんだから。



「そのうち、授業にだってちゃんと参加するよ」

「まだ、早いんじゃないの?」



不安そうな声。

令ちゃんは由乃のことをよく知っているから。

発作を起こした姿も、たくさん見ているから。

それも無理ないかなとは思う。



「そんなに心配しなくたって。

 お医者さんが絶対駄目って言うなら、無理なんてしないわよ」

「あ。そ、そうよね」



いくら「先手必勝」が座右の銘の由乃だって、そこまで無茶はしないのに。

そんなに信用がないのだろうか。



「大丈夫よ。ちゃんと、分かってるから」



そう。ちゃんと、分かってる。

令ちゃんがこんなに心配してくれるのは、由乃のことが好きだから。

由乃が健康体になったことに、まだ慣れていなくて。

由乃が壊れてしまうんじゃないかという恐怖から、抜け出せていない令ちゃん。

でも、もう大丈夫だから。

由乃はココアをコートのポケットに押し込んで、令ちゃんの手を握った。



「令ちゃん、旅館まで走ろう」

「えっ」

「平気だって。全力疾走はしないから」

「由乃!」

「すぐそこまでだから!ほら、走って!」



戸惑ってる令ちゃんを引っ張って、由乃は走り出した。











風になるの  



あなたと二人で 風になって



自由な風になって 飛んでいくの



遠いところへ まだ知らない場所へ



あなたとなら どこへでも





















あとがき



冬休みの令ちゃんと由乃ん。

お正月ですね。

手術して初めての・・・って、ふと思ったんですけど。

一ヶ月くらいで走っていいものなんでしょうか・・・。



気になり、調べてみました。

ご協力頂いた、某姉妹のお二方、有り難うございました!

由乃んの場合は欠損症のようですね。先天性心疾患。


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2004/11/24 00:00 | Comments(0) | TrackBack() | SS
静かなたたかい
由乃、乃梨子SS  ほのぼの



ある日の放課後、突然呼び出された乃梨子。

由乃さまは切羽詰った顔をしていた。
  ―静かなたたかい―







折り入って、相談があるの。

突然呼び出され、そう告げられて。

乃梨子は訳が分からず、ただ戸惑うばかりだった。



「あの、由乃さま。とりあえず落ち着きましょう」



真剣な顔つきで乃梨子の肩を掴んでいる、黄薔薇のつぼみ。

流石に廊下では、人目につきすぎる。

実際、廊下を行き交う一年生たちは、つぼみ二人が何を話しているのかと興味深そうに見ている。

由乃さまがこうして相談を持ちかけてくるなんて、今までなかったことだった。

二人の薔薇さまや、親友である祐巳さま、乃梨子のお姉さまだっているのだ。

それなのに乃梨子のところに来たということは、余程切羽詰った事情なのだろう。

由乃さまの雰囲気から、乃梨子はそう推測した。



「掃除はもう終わったので。

 どこか、人目につかないところに行きませんか」

「ああ、そうね。ごめんなさい、私ったら」



注目を浴びていることに気がつき、由乃さまは溜息をついた。



「それじゃ、ちょっと付き合ってね」



由乃さまに手を握られる。

観衆から、悲鳴のような声が上がったのは気のせいだろうか。

いつもなら、由乃さまファンの一年生が挨拶をしたりするのだろうけれど。

何か異様な空気を感じたらしく、誰一人として由乃さまと乃梨子に声をかけてこなかった。

ずんずんと歩いていく由乃さまに身を任せ、辿り着いた先はミルクホール。

「そこに座ってて」と、乃梨子を座らせ、由乃さまは自動販売機の方へ歩いていった。

そして紙パック入りのカフェオレを、二つ買って戻ってきた。



「乃梨子ちゃん、カフェオレ飲めないとかないわよね」

「はい、平気です」

「相談料として、お納め下され」



うむ、苦しゅうない。

そんな台詞の方が相応しかったかもしれないが。

「ありがとうございます」と頭を下げ、乃梨子はカフェオレのパックを受け取った。

由乃さまは乃梨子の対面に座ると、カフェオレをテーブルに置いて溜息をついた。

ごろんと寝転がっているパック。

同じように、由乃さまはテーブルに突っ伏す。

本当に、何があったのだろうか。



「由乃さま。それで、お話とは一体?」

「そうよ。それなのよ」



顔を上げぬまま、由乃さまが呻いた。



「もう時間がないというのに。

 この期に及んで、まさか心当たりもないなんて」

「は?」



「そんなの許されないのに」とか、ぶつぶつと呟いている。

しかし何のことを言っているのか、全く意味不明だった。

大丈夫なのだろうか、由乃さま。



「ね、乃梨子ちゃん。志摩子さんとは、仏像が縁だったのよね」

「はい」



出会った場所は、校舎の裏手にある、銀杏の中に一本だけ混じった桜の木。

趣味仲間のタクヤくんに紹介され向かった先が、乃梨子のお姉さま、志摩子さんのお家だった。

親しくなるきっかけは、志摩子さんのお家の仏像だったから、仏像が縁と言ってもいいだろう。



「そういうポイントがないと駄目なのかしら。

 でも、初めて会ったのは、桜の木の下なんだったわね」



「そういえば志摩子さんも・・・」とまたぶつぶつ言いながら、再び顔を伏せる由乃さま。

さっきから、話の内容が全く見えない。

由乃さまはがばっと起き上がり、放置したままのカフェオレを手に取った。

封を開けるのかと思いきや、パックをテーブルに立てて、また手を離す。



「乃梨子ちゃんはさ。もしも、誰かに恋人を紹介しろって言われたら、どうする?」



それは、唐突な話だった。

何のゲームをするかも知らされないうちに手札を配られ。

とりあえず手に取ったら、ジョーカーを見つけてしまったような。

よく分からないのに、どきりとさせられる瞬間。



「何かあったんですか」

「何もないから困ってるのよ。

 乃梨子ちゃんなら、どうやって切り抜ける?」

 

どうやって、と言われたところで。

いないものを紹介することなんて、できはしない。

そう告げたら、由乃さまはさらに条件を出してきた。

紹介しろと言ってきた相手は、絶対に負けたくない相手で。

まだ恋人もできないのかと挑発され、期日までに作ってみせると宣言をしてしまって。

期日が迫り、まだ候補すら見当たらない状態で、さてあなたはどうしますか。

無理難題もいいところである。



「正直に謝って、できませんでしたと告げるという解答は不可なんですよね」

「却下ね。全くもって意味がないわ。

 それじゃ、乃梨子ちゃんの負けなのよ」

「はぁ」



紹介できなかったら負けというあたりで、すでに何か違う気がしなくもない。

恋人なんて、競い合って作るものではないし。



「代役を立てて切り抜けるとか」

「甘いわ!相手は、そんなのお見通しよ」

「それじゃ、手当たり次第にナンパをしてみるとか」

「そんなみっともない手段は不可!」

「実はあなたが好きなんですと、誤魔化してみるとか」

「そんな嘘が効くような相手じゃないのよ」

「由乃さま、どんどん条件が厳しくなってませんか」

「そうかしら」



一番手っ取り早い、素直に謝るという手段が駄目で。

代役を立てても駄目で。

適当に相手を見繕うのも駄目で。

相手の意表をついて話を逸らすというのも駄目。

それでは、一体どうすればいいのだ。

どう考えても、残された道は、「ちゃんと恋人を紹介する」という選択肢しかない。



「由乃さま。この問題の正答は、一つしかないと思います」

「やっぱり、そうよね」



由乃さまは苦い顔をして、カフェオレのパックにストローを突き刺した。



「結局、私の解答は、参考にはならなかったですね」

「いいのよ。最初から答えなんて一つしかないんだから。

 下らないことに付き合わせて、ごめんね」



由乃さまはそう仰ったけれど。

真剣に悩んで、行き詰ってどうにもならない、そんな時の話し相手に選んでくれて。

少し、嬉しかったりもするのだ。

それだけ、由乃さまが乃梨子を認めてくれているのだろうから。



「でも、祐巳さまや志摩子さまじゃなくて、良かったんですか」

「毎回同じ人が相手じゃ、気分転換にはならないから。

 それに、たぶん祐巳さんは私どころじゃないし。

 乃梨子ちゃんと出会う前の志摩子さんは、妹を持つことさえ想像できなかったらしいしね」



「誰に聞いたところで、参考にならないことくらい、分かってるの」と、由乃さまは苦笑した。

それで、由乃さまの言葉から、悩みの種の予想がついた。

相手が誰かは知らないけれど、言われたんだ。

「妹を紹介しなさい」と。

由乃さまは、まだ妹がいらっしゃらない。

来年も「つぼみ」である乃梨子と違って、由乃さまは来年度の「黄薔薇さま」。

周囲から重圧をかけられたりもしているのだろう。



「大変ですね、由乃さま」

「来年は、乃梨子ちゃんの番だからね」



乃梨子と話したことで、少しはすっきりしたのだろうか。

笑った由乃さまの顔は、いつもと同じ、元気な由乃さまだった。

それにしても。

由乃さまがこんなに気にする相手って、一体どんな人なのだろう。

「相談料」のカフェオレに口をつけながら、乃梨子は思った。

















あとがき



「ある日の、由乃んと乃梨子ちゃん」でした。

あまり原作でも絡みのない二人なだけに。

難しかったです。

何より、悩める由乃んは元気がない(ヲイ)

かけた時間の割には、難産でした。

乃梨子ちゃんとの会話は、結構楽しかったですけど。





水面下で一人、奮闘している由乃ちゃん。

その舞台裏といった感じでしょうか。

一体どんな子を、妹にするのでしょうね。





2004/11/23 00:00 | Comments(0) | TrackBack() | SS
世界は踊る
令、由乃、その他SS  ほのぼの



体育祭での一コマ。

フォークダンスをしながら、何を思う?




  ―世界は踊る―







気分はどん底まで落ち込んで。

捻じ曲がって、結局それを直さなきゃいけない羽目になった。

その原因となった人を思うにつけ、心は乱れるけれど。

そういつまでも、臍を曲げているわけにもいかない。



「あ。フォークダンス始まったよ、由乃」



オクラホマ・ミキサーの、どこか陽気な調べが、令ちゃんの声と重なった。

気分転換にはちょうどいいか。

そう思い、由乃は席を立った。

「行こう」とか「踊ろうよ」と、声をかけたわけでもないのに、令ちゃんがついてくる。



「お姉さまとは踊りませんからね」

「えっ」

「一瞬だけ踊れたって、すぐにお別れなんだから。

 隣で踊ってる方が、距離はずっと近いでしょう」



そう言うと、令ちゃんは残念がるでもなく、ただ「そうね」と微笑んだ。

それに。

令ちゃんがダンスの輪に加わるとなれば、女性パートに人気が集中するに決まっているんだから。

わざわざ競争率の高い方に回らずとも、手くらいいつでも繋げる由乃としては、遠慮しなくてはいけない。

なんて、もっともらしい理由をつらつらと思い浮かべたけれど。

本当のところ、今は令ちゃんと踊りたい気分ではなかったのだ。

女性パートの子と、両手を繋いでダンスをする令ちゃん。

先程の江利子さまとのやりとりが思い出される。

たぶん今は、由乃と令ちゃんとで踊っている状態なのだ。

両手を繋いで、お互いだけを見て。

少し前まで、令ちゃんは江利子さまと両手を繋いでいた。

由乃が後ろに控えていたために、たぶん余所見ばかりしていたであろう令ちゃん。

江利子さまと踊っていたときは女性パート。

そしてその手を離して、今度は男性パートとなって由乃と手を繋いだ。

このフォークダンスに喩えると、きっとそんな感じだろう。



(でも、そろそろ手を離さないと)



そうしないと、由乃の後ろにいるだろう人と、手が繋げない。

ダンスができないから。

令ちゃんの手を離して、令ちゃんのすぐ後ろに立って。

由乃はまた、踊り始めるのだ。

誰よりも令ちゃんに近い場所で。

そして、令ちゃんのすぐ前にいるのが、江利子さま。



(本当、やってくれるわね、江利子さまは)



大きな溜息をつく。



「あの、由乃さま」



今しがた令ちゃんとお別れして、由乃のところにやってきた一年生が。

由乃と手を繋ぐ瞬間に、声をかけてきた。



「はい」

「あの。私、由乃さまのファンなんです!」



唐突にきた告白。

由乃の顔より、少し高いところにある彼女の顔は。

真っ赤に染まって、トマトも真っ青なくらいだった。

緊張しているからか、繋いでいる手が汗ばんでいて、おまけに少し冷たい。



「皆、由乃さまに話しかけたりしてるけど。

 私は挨拶くらいしかできなくて。

 こんなことなら剣道部に入部すれば良かったと思ったくらいで」

「今何か部活やっていないのなら、遅くはないと思うわ。

 でも、色々と厳しいわよ」

「はい!由乃さまと、こんな風にお話できるなんて。

 夢みたいです」

「夢じゃなくて、ちゃんとした現実よ。

 ほっぺを抓っても、目が覚めたりはしないからね」



「ありがとうございました」と軽く会釈をして、その一年生は次のパートナーへ向かった。

由乃のファンだというその子は、由乃に辿り着く前に、令ちゃんとダンスをした。

これでは、令ちゃんは障害物みたいだ。

令ちゃんは跳び箱。

由乃は、白い粉の中にある飴玉。

黄薔薇は障害物競走。

そんな想像をしたら、笑えてきた。

底辺だった気分が、徐々に上向いてくる。



「ごきげんよう、黄薔薇のつぼみ」

「ごきげんよう」



次に現れたのも、一年生だった。

ショートヘアの、活発そうな女の子。

見覚えのある子だ。

確か、いつも由乃に声をかけてくれている。



「今日は、お話しする機会がなかったわね」

「覚えていて下さったんですか」



「嬉しい」と、彼女ははにかんだ笑顔を見せた。



「いつも、声をかけてくれるでしょう。

 だから顔を覚えていたの」

「ありがとうございます、由乃さま。

 とっても嬉しいです」



にこやかに会話をしながら、またお別れ。

次に回ってきたのは、由乃と同じ二年生だった。















フォークダンスが終了して、輪が解けていく。

それぞれの応援席に散っていく前に、令ちゃんが由乃に声をかけてきた。



「どうしたの、由乃。なんだか楽しそうだけど」

「ふふ。ちょっとね」



令ちゃんは首をかしげて、「変な由乃」と呟いた。



「まぁ、いいか。それじゃ、午後も頑張ろう。

 由乃はくれぐれも、無理しないようにね」

「もう。大丈夫だってば!

 お姉さまのチームには負けませんから」

「残念ながら、今年の優勝は黄色が頂くよ」



「じゃ、また後で」と手を振って、由乃は緑チームの応援席に向かう。

午前の部の終了時点で、すでに点差がついていたって。

全部終わってみるまでは、どうなるかなんて分からないんだから。

歩く由乃の足取りは軽かった。

















あとがき



体育祭の由乃ん。

フォークダンスで、由乃ちゃんも告白されてたりして。

そう思ったので、書いちゃいました。

由乃ちゃんファンは、あまり描かれませんけど。



元気な由乃んの方が、書いていて楽しいです。









2004/11/23 00:00 | Comments(0) | TrackBack() | SS
休憩。


私は思わず、目を細めていた。

眩しかったのだ。

それが、遮るものなしに差し込む陽光のせいなのか。

それとも、突然やってきた彼女の笑顔のせいなのか。

それは分からない。

笑んでいた彼女の表情に、僅かに曇りが生じる。

こちらを伺うような、気遣うような眼差しに、私は慌てて涙を指でぬぐった。

たぶん、彼女は私の涙を気にしたのだ。

それはそうだ。

彼女でなくとも、泣いている人間に出くわしたら面食らうはず。

その次にどんな反応をするかは、人それぞれだろうけれど。

けれど今の私は、誰であれ、他人に踏み込まれたくはなかった。

なかったものとして扱ってくれるのが一番好ましい。

だが目の前にいる彼女は、そんなことが出来そうには見えなかった。

私はありきたりな理由で誤魔化し、彼女に追及を許さなかった。



「どなたかと、待ち合わせかしら?」



高等部から持ち上がりの人間を相手にする時、私の口調は自然と丁寧なものになる。

何故かはよく分からない。

彼女達がそういった喋り方だから、自然とそうなるのだろう。

リリアンの高等部では、外部の大学を受験する方が少ないらしいから。

ここでは、そんな喋り方の方が大多数なのだ。

セーラー服を身に纏う彼女も、やはり多数派の一人のようだった。

しかしよく目にする高等部の制服とは、胸元のタイの形が違う。

中等部の生徒だろうか。



(中断)





2004/10/10 00:00 | Comments(0) | TrackBack() | SS
休憩。
息抜きです。









誰にも会いたくない時に、つい足を運んでしまう場所。

確かにそこに存在しているのに、まるでないものであるかのような。

景色と一体化しているカメレオンみたいな。

高等部の敷地にある古い温室が、私は好きだった。

この場所を知ったのは、大学に入学して間もなくのことだった。

たまたま講義が休講になって、ふらりと学内を散歩していた時。

気にはなったけれど、そこは高等部の敷地だったから。

足を踏み入れることも無く、記憶に留めてその日は終わった。


高等部から持ち上がりで大学にきた知り合いに、その温室のことを訊ねたら。

「ああ、あったねそういえば」なんて返事をされ。

どうやらあまり人の出入りがないようだと知ってから、この場所を訪れるようになった。

色とりどりの花が咲き乱れ、甘い香りのする空気。

喧騒もどこか遠い、静かな空間。

あいている棚に腰を下ろし、膝を抱えるようにして丸くなってみる。

長い髪がしゃらと流れ落ち、視界を閉ざす。

目をかたく閉ざし、束の間の暗闇に落ちていく。

奥深くに入り込んで。

底まで、沈みこんで。

誰も、私を探さないで。

そう念じて、生温い体を掻き抱く。

このまま。

このまま、溶けてしまえればいいのに。

透き通って、そよ風の中に消えてしまえればいいのに。



「私を、おいていかないで」



呟いた言葉が、やけに大きく響いた気がして。

私は閉じていた目を開き、また地上まで浮上した。

視界を遮っていた髪を掻きあげる。

瞼を動かしたことで、知らず溢れてきていた涙が頬に零れ落ちていた。

それを拭いもせずに。

私はぼんやりと花を見つめていた。

誇らしげに咲いている、赤い花。



「お前は、いいね」



呟き、私は苦笑した。

その刹那。

きぃと温室のドアが軋む音をたて、一陣の風が舞い込んできた。

咄嗟に、私は音のした方を見た。



「驚かせてしまいました?」



澄んだ、少女らしい高音が響いて。

目を丸くしていた私に、彼女はにっこりと微笑みかけた。







それが、私と彼女の出逢いだった。







(続け)

2004/10/04 00:00 | Comments(0) | TrackBack() | SS

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